東京地方裁判所 昭和47年(ワ)1371号 判決 1974年10月29日
原告
佐竹昭彦
被告
東亜鍛工株式会社
ほか一名
主文
1 被告らは各自原告に対し金一八〇万七六九二円及びこれに対する昭和四七年二月二七日以降完済まで年五分の割合による金員を支払え。
2 原告の被告らに対するその余の請求を棄却する。
3 訴訟費用は三分し、その一を原告の負担とし、その余を被告らの負担とする。
4 この判決は原告勝訴部分に限り仮に執行することができる。
事実
第一申立
(原告)
一 被告らは各自原告に対し二四六万八七七二円及びこれに対する訴状送達の日の翌日以降完済まで年五分の割合による金員を支払え。
二 訴訟費用は被告らの負担とする。
三 仮執行の宣言
(被告ら)
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
第二主張
(請求の原因)
一 本件事故
原告は次の交通事故によつて負傷した。
(一) 日時 昭和四四年三月七日午後二時一五分頃
(二) 場所 東京都杉並区高円寺南四丁目三八番先環状七号線
(三) 被告車 普通貨物自動車(横浜一さ八四六九)
運転者 被告佐野
(四) 原告車 普通貨物自動車
運転者 原告
(五) 態様 原告車が道路の混雑のため停車したところ、被告車が後方から追突した。
(六) 傷害の部位・程度
頭部外傷兼脳挫傷、頸部挫傷、腰部捻挫等
(七) 治療経過
1 吉岡外科 昭和四四年三月七日の事故当日救急治療
2 八木病院 昭和四四年三月八日から同年六月一三日までの間、通院実日数六八日
3 城野外科 昭和四四年六月一四日から昭和四五年一月二七日までの間、通院実日数一七一日、同年一月二八日から同年三月一八日まで五〇日間入院
4 小山病院 昭和四五年三月一八日から同年六月一一日まで八六日間入院
5 鬼子母神病院 昭和四五年六月一二日から昭和四六年一〇月一日までの間、通院実日数六五日
(八) 後遺症
むちうち症後遺症(自賠法施行令別表一二級一二号)
二 責任原因
(一) 被告佐野は車間距離不保持、前方不注視等の過失により本件事故に至つたものであるから、民法七〇九条に基づき、本件事故に因つて原告に生じた損害を賠償する義務を負うものである。
(二) 被告会社は被告車を保有して自己のため運行の用に供しているものであり、また被告佐野を使用しているものであつて、本件事故は被告会社の業務を遂行中の被告佐野の過失により発生したものである。よつて被告会社は自賠法三条、民法七一五条一項に基づき、被告車の運行による本件事故に因つて原告に生じた損害を賠償する義務を負うものである。
三 損害
(一) 休業損害 一〇三万五四七二円
原告は事故当時、王子運送株式会社に運転手として勤務していたものであるが、左記1、2の期間、本件受傷のために就業できず、損害を受けた。なお、原告は追突を受けた際、頭を運転席後部のガラスに強打したものである。
1 昭和四四年三月八日から昭和四六年三月三一日までの期間。
<1> 事故前三ケ月の平均給与日額 二八九〇円
<2> 休業日数 七五四日
<3> 損害額 二一七万九〇六〇円
<4> 被告からの填補受領額 四二万八五〇〇円
<5> 労災保険からの填補受領額 一〇〇万〇五一八円
<6> 残損害 七五万〇九四二円
2 昭和四六年四月一日から同年一〇月一日までの期間
<1> 昭和四六年四月一日現在の得べかりし給与日額 三八四四円
<2> 休業日数 一八五日
<3> 損害額 七一万一一四〇円
<4> 労災保険からの填補受領額 四二万六六一〇円
<5> 残損害 二八万四五三〇円
(二) 入院雑費 四万〇五〇〇円
入院一三五日、一日当り三〇〇円の雑費を要した。
(三) 通院交通費 三万六八〇〇円
(四) 慰藉料(入通院) 一三五万六〇〇〇円
前記入通院の経過から右の額が相当である。なお後遺症による慰藉料は自賠責保険から填補受領したので請求しない。
四 結び
よつて原告は被告らに対し各自二四六万八七七二円及びこれに対する訴状送達の日の翌日以降完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
(請求の原因事実に対する答弁)
一 請求の原因の一の(一)ないし(五)、(七)の事実は認める。
原告は長期にわたり病院を転々としているが、各病院での病名も変転している。各病院での頸部、腰部、頭部のX線像、脳波、筋電図、聴力検査、眼科検査等においても異常所見はなく、腱反射、瞳孔反射その他の神経学的検査においても病的所見は認められないものであり、原告の愁訴には矛盾及び不合理な点が多く、原告の症状は心因性のものである。八木病院の桜井医師は受傷後二カ月半後の昭和四四年五月下旬には就労可能と診断し(乙第六号証カルテ、昭和四四年五月二〇日の頁に記載)、さらに遅くとも同年七月三一日までに治癒見込みとの診断を下している(乙第二号証)。また原告車の同乗者は同年三月七日から同年四月一三日まで通院治療(実日数一八日)を受けて治癒している。以上の次第で、原告の本件事故による傷害は本件事故後ほぼ二ないし三カ月をもつて治癒する程度のものと見るのが相当であり、八木病院から城野外科へ転医した同年六月一四日以降、あるいは遅くとも八木病院の桜井医師が治癒見込みと認めた同年七月三一日以降の治療及び休業による損害と本件事故との間の相当因果関係は否定すべきものである。
請求の原因一の(六)、(八)の事実は争う。
二 請求の原因二の事実は認める。
三 請求の原因三の事実は否認する。
第三証拠〔略〕
理由
一 本件事故、責任原因
請求の原因一の(一)ないし(五)、(七)の事実及び請求の原因二の事実は当事者間に争いがない。〔証拠略〕によると原告は右事故により後頭部を原告車運転席後部に打ちつけたと認められる。
してみると被告佐野は民法七〇九条に基づき、被告会社は自賠法三条ないし民法七一五条一項に基づき、本件事故によつて原告に生じた損害を賠償すべき義務を負うものである。
二 傷害の部位・程度、症状の推移、治療経過、後遺症
1 前判示事実に〔証拠略〕を総合すると次の事実が認められる。
(一) 原告は本件事故による負傷の救急治療として、昭和四四年三月七日の事故当日、頸部捻挫の傷病名で吉岡外科の治療を受けた。原告は頸部痛及び頭重を訴え、頸部湿布及び内服薬の投与を受けたが、自宅が遠方であることから、通院治療は初診時一日のみで転医した。
(二) 原告は頭部及び右側頭部挫傷の病名で、昭和四四年三月八日から同年六月一三日までの間(実日数六八日)、八木病院で通院治療を受けた。原告は三月八日の初診時に、受傷時一瞬ボーとなり意識障害があつた、直後に右側頭部に疼痛があつた、また頭部痛や頸部を動かした時わずかな痛みがあり、右耳介深部に軽度の痛みがある旨訴えているが、悪心、鼻出血、咽頭出血はいずれもない旨訴えており、頭部打撲痛、腰痛の訴えはない(腰痛を訴えた旨の原告本人の供述は〔証拠略〕に照らし措信できない。)。初診時の診察によると、一般状態良好、悪心、吐気はなし、意識正常、健忘なし、握力正常、瞳孔反射、眼球震盪等の神経学的検査正常、頸部の変形、連動制限、しびれ感ない、胸部腹部異常所見ないと診断されている。三月一〇日には右側頸部鈍痛、右耳に何かかぶさつた感じがする旨訴えている。右治療期間中、星状神経叢ブロツク、投薬、牽引、マツサージ等の治療が行われた。原告の右症状は非常によくなつたり悪くなつたりという波があつたが、四月四日頃からほぼ軽快の方向にあり、総体的には良好の状態が続き五月二〇日頃には疼痛が消失した。そこで同院田沢医師は五月二〇日頃の時点で五月下旬から就労可との診断を下した。ところが原告は五月二八日から軽度の右側頸部のしびれ感を訴える軽い神経症状を呈し、再び頸部の鈍痛と圧痛がある状態となつた。六月一〇日頃には右頸部の鈍痛は訴えたが圧痛はなく、同院桜井医師はややまた少し良くなつた状態と認め、六月一三日には七月三一日限り治癒見込みとの診断を下した。六月一三日頃はマツサージ療法の継続中であつたが、原告は同日、鞭打症の専門医に診せたいので転医したいと希望するに至り、同日限り、同院での治療は中止となつた。右の八木病院での治療期間中に、原告は、三月一〇日に頸部X線、三月二四日に頭部X線の撮影を受け、四月一日には同院の紹介で平林耳鼻科の検査を受けたが、いずれも異常はなく、三月八日から六月一三日までの八木病院での診療経過中、わずかに右胸鎖乳突筋に沿つて圧痛が他覚的に確認された。なお同院での治療、検査代九万六〇八〇円は被告会社が支払つた。
(三) 原告は腰部捻挫、頸部外傷兼脳挫傷の病名で、城野外科で昭和四四年六月一四日から昭和四五年一月二七日までの間通院治療(実日数一七一日)、同年一月二八日から同年三月一八日まで五〇日間入院治療を受けた。原告は初診時に、交通事故によつて後頭部を強打した、頭痛、頭重、頸部痛、耳鳴、眩暈、腰痛がある旨訴えた。城野医師は右症状は既に慢性期に移行している旨判断した。原告は投薬、マツサージ、脊髄通電、電気針、牽引等の治療を受けたが、右症状は良くなつたり悪くなつたりといつた経過をたどつた。昭和四五年一月二八日に至り寒冷期にあつて原告は右症状を強く訴え、通院態度が熱心であることから、城野医師も相当悪くなつているのではないかと判断し、原告は前記入院治療を受けるに至つたが、同年三月一八日、同院に無断で退院した。右城野外科での治療期間中に原告は頭部(四回)、頸椎(四回)、腰椎(三回)の各X線撮影、脳波(四回)、筋電図(二回)、自律神経機能検査・握力・視力・肩・腕力・背筋(六回)、の各検査を受けた。頸推X線撮影により、頸椎に通常ある生理的彎曲が消退し棒状になつている事実が確認されたが病的所見はなかつた。腰椎X線撮影により第四腰椎に圧縮変形が確認され、城野医師は事故によるものかは不明で、病的なものであるか一概に言えないが、原告が腰部疼痛を訴えるので、事故当初に腰椎捻挫を併発していたものと推測し、前記腰部捻挫の病名をつけるに至つた。第三回目の脳波検査で第二誘導においてわずかに部分的な異常波が出現したが、脳の特定部位の障害を推測させるものではなく、慢性期にある患者の神経状態がでている程度であると、城野医師は判断した。以上の治療、検査に当つて、城野医院は、原告の受傷機転が、頸推捻挫にあるよりも、後頭部の強打にあるものとの観点からこれに当つてきたために頭部外傷兼脳挫傷の病名をつけるに至つたものと推認できる。なお同外科での治療、検査代五六万〇七五〇円に労災保険から支払われた。
(四) 原告は頸椎捻挫兼腰部挫傷の病名で小山病院で、昭和四五年三月一八日から同年六月一一日まで八六日間入院治療を受けた。原告は初診時に、頸部特に右頸部痛、腰痛(長く座つていられない、左にまわすと痛い)、軽い頭痛、右耳痛(耳鳴はない)、背痛(まげると痛い)を訴えた。原告は右治療期間中、牽引、投薬、注射等の治療を受けたが、症状は抵抗を示し、医師も、六月三日頃には、なかなか治りにくい、ほぼ症状固定状態である旨判断するに至つている。右治療期間中の三月一九日に、原告は、頸推及び腰椎のX線撮影を受け、四月一一日に脳波の検査を受けたが、いずれも異常所見はなかつた。なお同院での治療、検査代一七万九四六〇円は労災保険から支払われた。
(五) 原告は頸椎捻挫の病名で、鬼子母神病院で、昭和四五年六月一二日から昭和四六年一〇月一日までの間通院治療(実日数六五日)を受けた。原告は頭重、頭痛、頸腕痛、頸部痛、耳鳴、眩暈、眼精疲労等を訴えた。四肢の筋萎縮は認められなかつた。原告は右治療期間中、投薬、マツサージ、注射、牽引等の治療を受けたが症状頑固で著軽快も増悪もなかつた。右治療期間中、原告は、同院で頸椎と腰椎のX線撮影を受け、脳波の検査を受けたが異常はなかつた。また同院の紹介で東京医大で受けた耳鼻科と眼科の検査でも異常はなかつた。同院の笹井医師は原告の主訴の特徴と熱心な受治療態度から脳幹障害型の外傷性頸部症候群と診断した。但し脳幹障害の有無の検査に有効な筋電図は行われていない。また同医師は治療経過から、昭和四六年二月五日頃には後遺症と認められるとの判断に至つたが、さらに治療を続け、同年七月一六日試験的軽作業(事務的な仕事、短時間の仕事)可との診断を下し、同年一〇月一日症状固定と診断を下した。なお同院での治療、検査代は労災保険から支払われた。
2 右事実によると原告の右症状は、時により消長強弱はあるものの、頭痛、頭重、頸部痛、耳痛ないし耳鳴、眩暈、腰痛等の頑固な神経症状を呈する主訴を中心とするものであり、数度に亘る頸椎、腰椎、頭部X線撮影、脳波、筋電図、聴力検査、眼科検査においても異常所見は認められず、腱反射、瞳孔反射その他の神経学的検査においても病的所見は認められなかつたものであり、わずかに八木病院での診療経過中、右胸鎖乳突筋に沿つて圧痛が他覚的に確認されたものである。もつとも城野外科での頸椎X線撮影で、生理的彎曲の消退が認められたが、城野医師は病的所見ではない旨供述している。また同外科での腰椎X線撮影で第四腰椎の圧縮変形が認められたが、同医師は事故によるものか不明であるとも供述している。そして、他の医療機関でのX線撮影で異常を認めなかつた事実をも勘案すると、同外科での右のX線撮影の結果をもつて原告の症状の他覚的所見とすることはできず、他に右認定判断を左右するに足りる証拠はない。ただ原告の右症状は各種治療に頑固に抵抗して容易に軽快消失せず、城野外科での治療期間中には慢性期に移行し、小山病院、鬼子母神病院においても、原告の症状は消失せず後遺症を残したまま昭和四六年一〇月一日治療は打切られるに至つたものである。
原告の症状に関する右の認定判断を越え、脳挫傷ないし脳幹障害を疑わせる城野外科、鬼子母神病院の診断名は、要するに、原告の損傷部位が脳ないし脳幹にあるのではないかとの観点から付せられたものと推認でき、前判示のとおり、神経学的所見に異常が認められず、筋電図においてホフマン反射の異常所見が認められない以上、脳挫傷ないし脳幹障害の事実を安易に認めることはできない。
3 被告らは、原告は病院を転々とし、各病院での病名も変転し、原告の愁訴には矛盾、不合理が多く、心因性のものである旨主張している。しかし病名につき前判示のとおり変転のあることは、各病院において原告の損傷の部位を、頸椎、脳、脳幹のいずれの観点から診断したかの医師の見解の相違に起因するものと推認でき、原告の愁訴も頸部ないし頭部打撲によつて発生する多彩な症状の域を出でず、日時の経過により症状も変化をきたすことを勘案すると矛盾しているとか不合理であるとまではいえないし、慢性化した神経症状が心因的要素により持続、増幅することはあり得るが、同精神薬の使用や精神療法が採られた形跡はなく、他に心因性と認めるに足りる証拠はない。
4 しかし右の治療経過に照らすと、原告は必要以上の転医を繰り返し、その結果、諸検査が重複して行われ治療費が必要以上に拡大し(城野外科以降の治療費は労災保険から支給されたので、原告は被告に対し請求していないが)、結果的に治療が長期化していることは否めない。
三 損害
(一) 逸失利益 八三万〇三九二円
〔証拠略〕によると次の事実が認められる。原告は昭和一七年九月二四日生(事故当時二七才)の男子で、高等学校卒業後、ニツカチエーン工業株式会社会社員、旭自動車株式会社整備士手伝、千代田グラビア印刷工等の職歴を経て昭和四〇年頃から新産別運転手労働組合に加入し、そこから派遣され、王子運送株式会社に運転手として勤務し、事故当時は平均日収二八九〇円を得ていたものであり、労災保険の休業補償の支給基礎日額はスライドして昭和四六年四月一日以降日収三八四四円となつた。原告は昭和四六年七月に、王子運送株式会社への復職を試みたが許されず、同年一〇月三日解雇されるに至つた。原告は同年一一月からリツカーミシン株式会社のセールスマンとして勤務したが、月額三万五〇〇〇円ないし四万六〇〇〇円位の収入しかないので退社し、再び同労組に入り、現在は運転手として勤務している。
右事実と原告の前判示症状の推移程度、後遺症の程度に照らすと、原告は被告らに対し事故後昭和四五年六月上旬頃までの一五月間は一〇〇%(日収二八九〇円)、昭和四六年四月上旬頃までの一〇月間は八〇%(日収二八九〇円)、同年一〇月上旬頃までの六月間は六〇%(日収三八四四円)昭和四七年一〇月上旬頃までの一二月間は二〇%(日収三八四四円)、の労働能力の喪失による損害の賠償を求め得るものとするのが相当であり、この合計は二六八万六〇二〇円となるが、原告は労災保険及び被告らから合計一八五万五六二八円を填補受領した旨自陳しているのでこれを控除すると、原告の逸失利益の残損害は八三万〇三九二円となる。
(二) 入院雑費 四万〇五〇〇円
前判示入院期間に照らし推認する。
(三) 通院交通費 三万六八〇〇円
〔証拠略〕によつて認める。
(四) 慰藉料
前判示原告の傷害の部位程度、症状の推移、治療経過その他本件口頭弁論に顕われた一切の事情(但し後遺症を除く)を斟酌すると原告の慰藉料は九〇万円が相当である。
四 結論
以上の次第であるから原告の本訴請求は被告に対し各自一八〇万七六九二円及びこれに対する訴状送達の日の翌日であること記録上明らかな昭和四七年二月二七日以降完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるので認容し、その余の請求は理由がないので棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九二条、九三条、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 宮良允通)